限定的な専門性から脱却し市場価値を高めるためデベロッパーから戦略コンサルタントへ転身

S.K
一橋大学
32歳
デベロッパー
企画部
戦略コンサルティングファーム
シニアコンサルタント
支援担当

古賀 新太郎
Koga Shintaro
福岡大学大学院を修了後、鹿島建設株式会社に入社。約7年間、トンネルや原子力発電所などの建設現場にて施工管理に従事し、多様な関係者との調整やCIM導入による業務効率化を推進しました。その後、株式会社日立コンサルティングへ転身。クルーズ業界のクライアントに対し、PMOとして進捗管理体制の再構築や意思決定プロセスの短縮化を主導し、プロジェクトの遅延解消などに貢献しました。こうした現場とコンサルの双方で培った「課題解決」と「人への寄り添い」の経験を活かし、より個人のキャリア構築に深く関わりたいと考え転身。個人のキャリア支援への強い志を持ち、MyVisionに入社し、20代〜30代のコンサルタント志望の方々を専門に支援しています。
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転職を意識するまで
ご経歴について教えてください
大学卒業後、不動産デベロッパーに入社し、約10年間にわたって住宅開発や複合再開発プロジェクトに携わってきました。 入社初期はマンション用地の取得や事業収支の作成、後半は再開発エリアでの企画・推進を担当し行政・ゼネコン・設計会社など多様な関係者と調整し、都市開発に関わるダイナミックな仕事を経験してきました。
転職のきっかけを教えてください
「このままでは自分の市場価値が狭いまま終わってしまうのでは」という危機感を持ちました。この課題感が、転職を意識する最初のきっかけでした。10年を超えて仕事を続ける中で、ある種の安定と停滞を同時に感じるようになりました。再開発という分野は社会的意義が高く、やりがいもありましたが、同時に専門領域が限定されており、他の業界知識や新しいビジネスの構想に触れる機会が極めて少なかったのです。また、社内では自分が望む新規領域への挑戦の機会が限られ、このまま続けていけば安定はしているが、潰えてしまう自分の可能性について考えるようになりました。
コンサルティングファームに転職した背景は何ですか?
不動産開発で培った事業収支感覚、リスクマネジメント、調整力は、業界を超えて通用するスキルだと考えています。その一方で、前職では「プロジェクトをどう成功させるか」という実務的視点が中心で、「企業がなぜその事業を行うのか」「どう成長を描くのか」といった上流の問いに触れる機会がありませんでした。コンサルティングファーム、中でも戦略コンサルティングファームであれば、経営層と議論しながら企業変革を支援できます。事業の上流こそが、自分が次に挑戦すべきステージだと感じました。特に、都市開発の経験を持つ自分が、社会課題や地域戦略の文脈で企業支援を行うことには大きな可能性を感じています。
MyVisionの支援について
エージェントは何社と話しましたか?
4社と話しました。
その中で最終的にMyVisionを選択した理由を教えてください
担当の古賀さんは単に求人を紹介するだけでなく、「これまでの不動産での経験を、経営コンサルティングの文脈でどう活かせるか」を 一緒に深掘りしてくれた点が大きかったです。また、コンサルティングファーム特有のケース面接に向けて、「思考の筋道」や「ロジカルに話す訓練」を徹底的にサポートしていただけたのも決め手でした。 面接で話すエピソードを、単なる成功談ではなく"課題発見力"として構成し直すアドバイスが非常に的確でした。
当社のサービスに対して、率直なご意見をいただけますでしょうか?
「自分のキャリアを翻訳してくれる存在」という印象です。不動産開発のような専門職からコンサルタントへ挑戦する際、「業界の文脈をどう置き換えて伝えるか」が最も難しい点でしたが、古賀さんはそこを構造的に整理してくれました。面接後のフィードバックも早く、毎回改善ポイントが明確だったので非常に助かりました。
ご自身の転職活動を振り返って
今後の転職候補者のために、転職活動の良かった点を教えてください。
職務経歴を棚卸しして、自分の強みと課題を客観的に見つめ直したことです。特に、これまで「開発の現場視点」で語っていた経験を、「経営的な視点」に変換する練習を重ねたことで、どのファームでも納得感を持って説明できるようになりました。
今後の転職候補者のために、転職活動の反省点を教えてください。
コンサルティングファームの知識を持たずにスタートしてしまった点です。もう少し早い段階で業界研究やケース問題の練習を始めていれば、より多くのファームと余裕を持って面接に臨めたと思います。
転職前後の年収を教えてください。
転職前は年収900万円、転職後は年収1050万円になりました。


